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CROWN English Communication 2 Lesson4

思いやりがあるだけでは十分ではありません。行動に移さなければなりません。――道教の格言

Crossing the Border ――Medecins Sans Frontieres――

ちょっと考えてみよう

  1. あなたは将来何になりたいですか?

  2. あなたの将来の仕事はどのような方法で人々を助けるでしょうか?

  3. これまでで行った最も難しい決断は何ですか?

貫戸朋子医師は1993年にMSFへ加わりました。 彼女はこの国際的なボランティアグループとともに現場で働く最初の日本人でした。 ここで彼女は体験したことについて話しています。

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日本で8年間働いたあと、私はさらなる勉強のためスイスへ行きました。 そこでMedecins Sans Frontieres(MSF)、1971年にフランスで設立された非政府組織の「国境なき医師団」の一員になりました。 たとえ人種や信条あるいは政党が何であれ、MSFは戦争や災害のために病気や負傷してしまった世界中の人々を助けています。

私は医師としてどうすれば他者の役に立てるかについて考えていました。 私は異なる文化や場所を見たかった。 私はMSFについて読み、お金を寄付してくれる友達がいました。 私はパリにあるMSFのオフィスに宛てて組織へ参加したい旨を伝える手紙を送りました。 彼らははいと答えました。そして私はスリランカにあるマドゥー難民キャンプへ派遣されました。そこでは戦闘が続いていました。

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マドゥーでは28,000人の難民がいますが、たった1つの病院しかありません。そこにはほんの2名の看護師、2名のタミル人の医師、通訳者、医療従事者しかいませんでした。 働くにはもっとも初歩的な医療設備しかありませんでした。 たくさんの人々を古い設備で治療しなければならないので悲しく思うときが何度もありました。

私達は午前9時から開始し、日におよそ150人治療しました。 彼らはタミル語を話しました。 私達は簡単な質問を尋ねて何をすべきかを決めていました。 午後は8床にいる人々、通常は妊婦や赤ちゃんの世話をおこなった。 ときどきマドゥーから8キロも離れた小さなキャンプに行った。 私達は朝から晩まで働きました。

マラリア、ぜんそく、肺炎。このような病気がありふれていました。 乏しい食料や水もまた深刻な問題でした。 10月に雨季がやってくると、下痢が増えて幾人かの子どもを亡くしました。 私達のもとにやってきた人々を私達は治療しました。たとえ武器を持った軍人であっても武器をしまった後で。

私達は安全であると言われていました。 しかしながら夜間に外出しないように命令されたことが幾度もありました。 外出が安全であるかどうかを知るために私達はラジオを聴いていました。

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マドゥーでの私達の仕事についてもっとも困難なことは決定することでした。 私達はその地域の状況を考えなければなりません。なぜなら欧米人や日本人の目を通してその状況をみると誤った決定を引き起こしうるからです。 医療設備と同様に薬も非常に限られていたため、私達は発生した各状況を見て、なすべき最善のことを選択しなければなりませんでした。

ある女性が5歳の少年を私達の病院へ連れてきたその日のことを私ははっきりと覚えています。 彼が手の施しようがないことを私は直ちに理解した。 私達は彼に酸素を吸引させたが、彼の顔は青ざめており呼吸は困難な状態で、酸素マスクは彼にとって不快であった。 彼は状態が良くなることはなかった。 私達は最後の酸素タンクを使っていました。 次のタンクがいつ届くか私達は知らなかった。 もし酸素を必要とする別の人が到着したら、おそらくこのタンクは彼もしくは彼女の命を救えただろう。 私は決心をしました。そして私とともに働く看護師に酸素の供給を止めるように合図した。 看護師は簡単にはそれを行えませんでした。 私は5秒間待ってから私自身で栓をひねって止めました。 その子どもの命を天に委ねることが最善であると考えたので、私はそのように行いました。 それは正しい決断だったでしょうか? 私はいまだに分かりません。

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マドゥーでの6か月がすぐに過ぎ去りましたが、それらは私の人生と仕事に本当の意味を与えたので私にとって非常に重要でした。

MSFのようなNGOの仕事は多くの世界中の問題を解決するのに手助けしていますが、やるべきことはまだまだあります。 より多くの日本人がそのような仕事に志願して、より多くの世界を見て回り、助けを必要としている人々に対して同情の気持ちを持ち始めることが私の希望です。 そのようなボランティアは与えるのと同じくらい得るということがわかるでしょう。 私の場合、その経験は私の人生に方向性を与えただけでなく、人間として生きることが何であるかについて考える機会を与えてくれました。 私は再度MSFに参加してMSFが必要とされなくなるまで彼らとともに働き続けるつもりです。 世界中にはまだ数え切れないほどの病人や負傷者がいます。

国境を越えるには勇気を必要です。あなたの家族や友人は反対するかもしれません。しかしあなたにとってやるべき正しいことであると思えるなら、本当にしたいことをしてください。 あなたは少数派にいると気づくことになるかもしれません。しかし自分自身を信じて信念を行動に移す勇気を持ってください。

Question

  1. MSFはいつどこで設立されましたか?
  2. MSFはどのような種類の仕事を行っていますか?
  3. 貫戸医師はマドゥーでときどき悲しみを感じていました。なぜでしょうか?
  4. マドゥーではどのような病気がありふれていましたか?
  5. 貫戸医師は外出が安全であるかどうかを知るためにどのようなことをしましたか?
  6. マドゥーでの彼らの仕事についてもっとも難しいことは何でしたか?
  7. 薬と医療設備が限られていたために、彼らは何をしなければなりませんでしたか?
  8. 貫戸医師はなぜ酸素の供給を止めましたか?
  9. 貫戸医師はマドゥーの難民キャンプでどれくらいの期間働いていましたか?
  10. MSFのようなNGOはどのような種類の仕事を行っていますか?
  11. マドゥーでの貫戸医師の経験は彼女に何を与えましたか?

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