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CROWN English Communication 2 Lesson1

どこかに旅に出よう、きっと無謀な選択になるだろう ――Robert Frost

Around the World on a Bike

ちょっと考えてみよう

  1. あなたは世界旅行に行きたいですか?
  2. あなたは旅行のために学校を休学したいですか?
  3. 自転車での世界旅行を計画している友達にあなたは何を言うでしょうか?

平田オリザは日本で最も有名な劇作家の一人です。 彼はちょうど16歳のときに16ヶ月かけて自転車で世界一周旅行をしました。 旅行の直後、18歳のときにそのことについて彼は一冊の本を書きました。

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私は子どもの頃も自転車や旅行が大好きでした。 13歳のとき、私は世界を一周する計画を立てました。 世界旅行を始めるつもりだと人々に話しましたが、真剣に受け取る人は誰もいませんでした。 「馬鹿げた夢は忘れなさい。現実的になりなさい」と人々は言ったものでした。 しかしそのことは私を止めることはありませんでした。 もし成功すれば立派でしょう。 もし失敗すれば、私は失敗を受け入れることを学んだでしょう。 私のモットーは「柔軟性と楽観主義」です。

私は真剣に計画し始めました。 定時制高校に通うと決めたので、旅行のお金を稼ぐために昼間は働くことが出来ました。 私はラーメン屋やパン屋で働いたり、新聞配達員として働いたりしました。 幸運なことに私の両親は私を支えてくれました。 自立したいという私の願いを彼らは尊重してくれました。

私は2年間の休学を取りました。 私は新しい自転車を買って、パスポートを受け取り、ロサンジェルスまでの航空券を手に入れました。 1979年5月5日、私は移動中でした。

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5月7日に私はロサンジェルスの空港から自転車旅行を始めました。 私が信号で立ち止まったとき、「やぁ!どこに向かっているの?」と誰かが呼ぶのが聞こえました。 それは自転車に乗った若い男の人でした。 「ニューヨークへ」と私は言いました。 少し困惑して「君はどこへ行くと言ったんだい?」と彼は言いました。 「ニューヨークだよ」 「ニューヨーク!」と彼は繰り返しました。 私は彼の英語をほとんど理解出来ませんでした。 唯一理解出来たことは彼の名前がデニスだということと彼が私を家に招待してくれたことだけでした。 少しためらったあと、私は受け入れました。

デニスはある友人と家を共有していました。その友人の妻は偶然 日本語を話すことが出来ました。 私は彼らと一緒に夕食をとりました――フライドチキンやフライドポテト、デザートとしてアイスクリームも一緒に。 デニスは私が読むべきものを取り出してきました。それは自転車旅行者を支援する人たちのリストでした。 無償の食事付きで彼らの家のどれにでも宿泊できるとデニスが説明してくれました。

その住所録はとても役に立ちました。 自転車旅行でアメリカを横断している間、私はそれを大いに活用して20の家庭を訪問し、多くの友好的な人々と出会いました。 デニスに出会って旅行の初日にこの大きな贈り物を受け取れたことは私に人生の神秘さを感じさせました。 人生の大部分は運とチャンスに拠るところが大きいです。

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自転車旅行の間、良い日もあれば悪い日もありました。 しょっちゅうパンクしていました。18回も! 時々天気も問題になりました。 人々は親切でした――ですがいつもそうであるとは限りません。

たいていはテントの中で寝ていました。 スペインでは来る日も来る日も雨が降っていました。 ある朝起きた時、全てのものがびしょ濡れでした。私の寝袋さえも。 私はホテルへ移動せざるを得ませんでした。

イギリスのケンブリッジでは私が日記を書いているときに誰かが私のテントへ石を投げ始めました。 アジア人をからかうような歌を子どもたちが歌っているのが聞こえました。 人種差別だったのでしょうか?それとも単なる冗談だったのでしょうか? 私はイギリスに良い友達がいたことを思い出し、怒らないように決めました。 しかし私にとっては暗い夜でした。

フランスではパスポートを失くしました。 幸運なことにどこかの誠実な人が警察にそれを届けてくれました。 私は数日後にそれを取り戻すことができました。 道中、見知らぬ人たちの親切さに私はしばしば感銘を受けました。

イタリアのミラノでは私の所持品がすべて盗まれました。 私はとても悲しくなり、旅行を断念してしまうことさえ考えました。 そのとき私は体験したすべての親切な行動を思い出しました。そして続けることを決心しました。

私はおよそ20,000km自転車に乗り続けて26ヵ国訪れました。 1980年9月17日に私は無事に家に帰ってきました。

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日本に戻ると人々が同じ質問を私にしたことを覚えています。「あなたは旅行から何を学びましたか?」と。 私は答えることが難しいといつも思いました。 多くの国々を訪問したことは事実です。そしてこの経験が私の残りの人生に役立ったと分かるでしょう。 私はまた自力で生きていくことを学びながら多くの友達を作りました。

人々がたいそうな一般論を聞きたがっているということを私は分かっています。 しかし私は次のようなことを言うことが出来ませんでした。 「人生は厳しい。だから私達はお互いに一緒に生きていくことを学ばなければならない」あるいは「人間にとって最も重要なものは自由である。私は自由のためなら人生を投げ出す準備ができている」 代わりに私はただ笑って口篭(くちごも)ったものでした。「えっと、ほとんど何もありません。私の経験が将来役に立つということが分かるかもしれません。よく分かりません」と。

私は現在18歳です。 この時点では旅行から学んだことをまだはっきりとは私は答えること出来ません。 私の前には長い道のりがあり、更に先にはたくさんの曲がりくねった道が分岐している。 将来、振り返ってみて、旅行から学んだことが言えるようにしたいと望んでいます。 今言えることは家に帰ってきた少年は16ヶ月前に日本を出発した少年とは異なっているということです。

Question

Q-1. 平田オリザ13歳のときどのような計画を立てましたか?

Q-2. 平田はなぜ定時制高校に通うと決めましたか?

Q-3. 平田はいつから旅行を始めましたか?

Q-4. 平田はどこでデニスと出会いましたか?

Q-5. 平田はデニスの英語をどれくらい理解しましたか?

Q-6. デニスは平田に読むべきものとして何を与えましたか?

Q-7. 平田は何度パンクしましたか?

Q-8. 平田がフランスでパスポートを失くしたあと何が起きましたか?

Q-9. イタリアでなぜ平田は旅行を断念しようと考えましたか?

Q-10. 平田が日本に帰ってきたとき人々は平田にどのような質問を尋ねましたか?

Q-11. 平田は旅行から学んだことをいつ言えるようにしたいと思っていますか?

Q-12. 平田は旅行について今は何と言うことができるでしょうか?

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